大学時分は、工房がとても気に入っていて、毎日のように通っては、学校が閉まるまで絵を描いていた気がします。もちろ んずっと描いてばかりいたわけじゃなくて、周りの友達と何時間も絵の前で話をしたり(絵の話も、くだらない話も、なんだ か壮大な話も)、学校が終わってそのまま誰かの家に遊びに行 って夜通し起きていたり、そういうのがすごく大事で、かけがえがなかった。
描くための場所があって、同じようにものを作りたい、何かを表現をしたいという仲間が周りにいて、ただ描くことが許されている、というのが、凄く自由だった。学校と、学生自身が 、個人的で、雑音の少ないことが、私にとってはとても過ごしやすい空間だったのだと思います。
全ては、描きたいもの、描くべきもの、思考力、制作行為を一致させてゆく、ベースとなったものです。
現在は、東京を拠点に制作活動と発表を行っています。毎日制作しているので、学生の時分とあまり変わらないなあと思うこともありますが、どんどん絵が個人的になるとともに、それが直接世界と関わっていくということを実感しています。学生の時に、「学生の時は停滞しているように感じるかもしれない時間も、社会に出ると毎日が違う一日だということを知る」と先生が言っていたのを思い出します。まさにその通りで、今日やったことが明日を作っていく様は、ほんとうに日々勉強なのだと感じます。
こうしたほうがいいとか、ましてやこれが最短なんていうことは、全く無いようなもので、それぞれのその時々の流れにふさわしい物を掴んでは、ひとつひとつやっていくしかないと思います。いつも必要なものは興味の向いた先にあるものだと思うので、信じていることに忠実に動いていれば、波はやって来るもの。それはどこからか発生するもののようで、自らが引き寄せているのだとも思います。呼び合うものには引力があります。いつも感覚に真摯でありたいですね。
永島 千裕
略歴
旧・京都嵯峨芸術大学 油画分野(オフィシャルサイト)