展覧会に向けての韓国・金在寛先生からのメッセージです。

「 韓国・現在美術の地層 in 京都」

 韓国の古都清州(チョンジュ)を中心に活動する作家たちがいます。
清州は1300年来の歴史ある都市ですが、今では生命科学中心の新成長動力の都市に変貌しています。清州地域の作家たちが日本の作家たちと初めて交流展を開始したのは1990年、千葉の作家たちとの「清州−千葉・韓日現代美術交流展」により始まりました。当時展覧会企画を主導されていた美術評論家、山岸信郎先生は2008年にご逝去されましたが、その山岸先生の思考では「韓日展は単に展覧会の問題ではなく、より大きな意味を含んでいる」とされており、その彼の言葉は今改めて考えさせられるものがあります。
 
 当時、韓国作家のコミッショナーは筆者(金在寛)が担当しました。私たちは交流展を通じて、それまではよく知らなかった日本のことを少しづつ理解することが出来ました。その中で山岸先生は、現代美術の交流の意義について、韓日両国の精神文化の差異に注視することだけでなく、私たちの未来の在り方へ眼差しを持つことの重要さについても語られました。
 交流展は1995年に終了しましたが、その後も東京での私の個展をはじめ、長崎大学の井川惺亮教授や若い日本の作家たちとの交流展などが数回あり、形やメンバーをを変えながら作品を通しての交流は続けられてきました。清州千葉・韓日交流展の当時の主要メンバーだった宇野和幸先生と再会した我々の縁は、京都に地を移し新たな形で展開されることになり、誠に幸せなことだと考えています。当時の交流展を構成したメンバーのほとんどは交代しましたが、私たちは新たな感情を抱き、京都展を準備してきました。
 
 さる3月11日、予期できなかった大災害が日本列島北東部を襲いました。想像を絶する規模の大災害に苦しむ隣国の姿を見ながら、非常に当惑し、そして実に切ない思いで胸がいっぱいになりました。65歳まで生きてきた私の目に初めて映った衝撃的現場でした。 数日経過すれば少しづつ収束されるはずだという考えは打ち砕かれ、原発から流出されたプルトニウムの放射線物質汚染による恐怖感は、より大きく拡散されました。
 
 1995年の「清州芸術の殿堂」で開かれた千葉の作家たちとの最後の交流展のタイトルを筆者は「未来の予感」展としました。展覧会カタログの序文で山岸先生は次のように書いています。「現代という時代は、一国家だけの不幸を許諾できそうもないだけでなく、一国家の繁栄も許諾できそうにない。将来地球上の人類全体に関連するであろう様々なことについて再度追求すべき時機が到来していると考えられる。」 山岸先生のこの言葉は、16年もの年月が過ぎた2011年の私たちにとっても切実な感動を与えます。そうなのです、今の日本の危機は日本だけの不幸を越えて世界のすべての国、人類の不幸なのです。
 二か月後に京都展を控えていた我々はひどく当惑していました。しかし芸術家は芸術として現実が語れる必要があるという考えと、苦痛を共に分かち合えた時に私達は真の友人になれるという考えに至りました。物理学者覚道(加来道雄)は最近の講演会で、潜在的な大地震の脅威が世界各地で発生することがあると警告しています。地球上で発生した予測不能の事象例、ツングースカ(Tuguska)の大爆発、チェルノブイリ原発事故、チリ大地震、東北(三陸)沿岸の大津波など、すべての事象は一国家と地域だけの危機ではなく、私たちが住んでいる地球上の環境、土壌、空気、海をも一緒に心配しなければならないように、私たち皆が危機に直面しているのです。
 
 現代美術はすでに半世紀以前から、一国の言語ではなく、世界の言語へと発展してきました。そして一地域の芸術にとどまらず、国境を越えてすべての芸術人の言語に発展しました。デュシャンの「レディメイド」がフランスだけの芸術ではないように、フルクサスの美術運動がドイツだけの芸術ではないように、世界の美術はネットワークを通して現代美術の思想を共有し得ると考えます。そのため、「韓国・現代美術の地層」を標榜し、京都で開かれる本展では様々な意味で象徴されるところが少なくないと思います。特に、ある地域の3つの大学から選ばれた多様な作家たちで構成されているため、展覧会のタイトル通り、現在の韓国現代美術の地層を十分に見せてくれる展覧会だといえるでしょう。

 展覧会を用意してくださった京都嵯峨芸術大学と関係者の皆様に深く感謝いたします。
そして制作活動・学生教育でご多忙の中、今回の展覧会を企画してくださった宇野和幸教授へ心からの感謝の意を表します。
 
 (2011・5)
清州大学校教授・Schema美術館長 金在寛(Kim Jai-kwan)

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<韓国 忠清北道清州市>
清州市(チョンジュし)は大韓民国忠清北道西部の市。道庁所在地。面積153.31平方キロ、人口626,614人。
周囲を清原郡に囲まれている。かつては百済の上党県で、軍事要地であった。統一新羅時代に西原京が置かれ、高麗時代に清州と改称した。1905年の京釜線開通とともに交通要地となり、1908年忠清北道観察使が忠州から移ってきた。
(道庁所在地になったことを意味する)1946年の清州府への昇格と清原郡の分離を経て1949年に清州市に改称、1995年区制が導入された。(wikipedia)
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「韓国・現在美術の地層」展・開催に寄せて

今回、韓国清州市より16名の作家による展覧会「韓国・現在美術の地層」展を開催する運びとなりました。
今年度創立40周年を迎える京都嵯峨芸術大学は「芸術・大学・教育」を改めて問い直す試みを行っています。そこで、この展覧会では韓国の清州地域を代表する美術学部を持つ3つの大学、清州大学、忠北大学、西原大学の教授陣とそれぞれの大学出身の作家及び清州の最も新しい美術館であるシェマ美術館アカデミー会員作家による構成で、その芸術と大学の教育や地域の中で積み重ねられた「芸術表現の地層」を展観してみようという企画です。

清州市は韓国のほぼ中央部に位置する忠清北道の中心都市です。京都と同じように、百済の時代より1300年という長い歴史に抱かれた伝統文化を有する土地柄であり、また、10校を超える大学が存在する文教都市、学生の街でもあります。 そのような共通点を持つ都市を中心に活動する作家や大学と、作品を通した交流をベースにして、日本の芸術教育や美術の現在性について、共に考察していくことが出来ればと願っています。

先の大震災の影響により一時は展覧会の開催を危ぶんだ時期もありましたが、金在寛先生はじめ、清州の各大学の先生方のご協力もあって、無事展覧会を開催できました。また、今回の展覧会に合わせて出品作家の皆様に来日して頂けたことは、私達、京都嵯峨芸術大学関係者一同にとってこの上もない喜びです。 深く感謝の意を表します。

京都嵯峨芸術大学 油画研究室
11/06/20