絵画道場ディスカッションvol.52「松谷めぐみの作品を巡って」
2013年10月15日、「松谷めぐみの作品を巡って」が開催されました。
会場には五点の作品が時系列に並べられた作品に囲まれてディスカッションがスタートしました。
会場向かって左手前からぐるりと右手前へと作品が新しくなっていく形で展示がされています。
そうして会場を見渡してみると過去作の書き込まれた油絵から現在のイラストのような作品へと表現の雰囲気が変わっていることが顕著に見て取れます。今回のディスカッションはなぜそうなっていったのかということから話が始まりました。
作者の松谷さんは初期の作品では自分の中の表現に対して「絵画らしさ」や「人がみる完成度」がつきまとい、表現をストレートに提示することが難しかったといいます。それを打開する為に、普段から描きためていたドローイングやスケッチを画面に持ってくることでその問題を解決しようとしているようです。より手を早く動かして感覚に近づける様に、近作ではアクリル絵具やペン、ラメなども使用されています。
制作活動を行う際に自分の表現したい事と作品との間で起こる様々な齟齬や誤解を解決していくことは作家にとって重要なことだと思います。その中で生まれる変化や考えこそが作品自体を作っていることとなりえることもあるでしょう。
また松谷さんは表面的でより軽い「ライトな共感」を得られるような作品を作れればと言います。
今回のディスカッションではその言葉を巡って様々な話が交わされました。年代による「共感」という言葉の感じ方も違ったということもあり、様々な意見が交わされました。
「そのライトな共感が途轍もなく大きく行われる時それは果たして一体どのようなものだろうか」
「ライトに共感することなど可能なのか」「そもそも共感することとは可能なのだろうか」
一体「ライトな共感」とはどういうものなのでしょうか。いろいろな意見が交わされました。
私が個人的に考えるには、ライトな共感が作品の中に立ち現れる時というのは、受け手に対して「ライトな共感」をかすめ取っていったことを自明のものとさせるような出来事なのではないかと思います。そしてそれが起こるときはすでに「ライト」ではないと私は思います。
皆さんもよかったら考えてみて下さい。たくさんの考え方があると思います。
「ライトな共感」とは一体どのようにして作品や美術の中に存在することができるのでしょうか。
松谷さんの展示は10月29日迄です。みなさま是非お越しください。
次回の絵画道場は2013年10月28日(木)から
短期大学部洋画の岡本絵琳子さんの展覧会です。また追ってウェブにてご紹介させて頂きます。
よろしくお願いします。
(油画分野教務助手 寺岡海)