絵画道場vol.56「米田要の作品をめぐって」
2014年6月13日(金)
2014年6月5日に予定していた「絵画道場ディスカッションvol.56-米田要の作品をめぐって」は作者の体調不良により中止となり、皆様へ大変ご迷惑をおかけ致しました。
ディスカッションの開催が中止となりました今回は、それに代わり後日改めて作家 米田要さんと本学非常勤講師 長谷川一郎先生による対談を行いました。
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【対談】米田要の作品をめぐって
長谷川一郎 × 米田要
長谷川 はい。では、米田君の絵画道場番外編を始めましょう。お願いします。
米田 宜しくお願いします。
長谷川 まず、モチーフについて。何が描かれているのかというところで、画面を見た感じでは具体的には分かったり分からなかったりしていますが、「虫」をモチーフにしていますよね。虫を選んだきっかけや経緯・理由などがあれば話して下さい。
米田 きっかけは、自分が幼い頃に一番最初に描いたものが虫で、回帰的なものなのかも知れません。特に考える訳でなく自然と浮かんできたもので。虫というのは。最初に描いたところから疑問を持たずにモチーフとして選び続けてきたのですが、今は理由を考えなければならない状況になってきています。
長谷川 では、実際に既に虫というものを描いた結果として、「虫を描いた自身の絵」を観て何かそこからみえてくるものはありますか。描いた事によってみえてくるものもあると思うのですが。
米田 なんというか、虫であるという事に安心を覚えるんです。自分が虫と密接に繋がってきたので、自分が虫を描いているということに疑問を持たないし、すごく納得がいくんです。
長谷川 作品とは別にしても、幼い頃からの米田君にとって虫っていうのはどんな存在?
米田 うーん、外に出たとしても何処にいても絶対に目に着きますし、どこかで常に探しながら歩いているような感覚はあります。
長谷川 そんなに興味がない人にとっては虫って不快に思われたり するけど、米田君からしたらテンションの上がるものというか、楽しいものなのかな。
米田 そうですね。見かけたら近寄って行ったりとか、自然と足を運んでいますね。虫の方向に。
長谷川 なるほどね。絵のために虫がある訳ではなく、米田君にとって虫というのは昔から注目の対象であったという訳だね。
では、話を作品に戻すと、実際に虫が描かれている訳だけども、忠実にただ虫だけを描いてはいないよね。モチーフが虫だという説明が無かったら気付く人は少ないんじゃないかというくらいの画面の状態なのだけども、それは米田君の中ではどういうことなの?
米田 完璧に描写しきるのは技術的な面で無理というか、どこかで諦めみたいなものを感じていて、形をおぼろげにしているという感があります。
長谷川 それは初めて聞いたな。その言い方はどちらかというとネガティブな理由に受け取れるけど、今の描き方を見るとそれだけではないように思えるんだけど。
米田 ドローイングのようにシャッと描いた線が好きで、色々と省略されたような。例えば、足の節を描くとしたらそれを線一本で終えるような。書道でいうと、きっちりとしたデッサンが楷書のようなものだとしたら、僕の作品は行書・草書のようなものですね。
長谷川 それって物への迫り方の違いであったりはするけど、どちらがリアリティーがあるかとかは一概には言えないよね。細かく沢山描いたからといってリアルな訳ではないし。
米田 そうですね。そういった画 面作りの話は自分の引く線や画材の話とも繋がるんですけど、色んな道具を使うのではなく、タッチに関してもゴムベラなんかを使ってなるべく均一なタッチのみで物を構成したいんです。一種類のモノのみでモチーフを表現するというか。
長谷川 なるほど。そのときも表現するのは虫なの?画面をみると、虫の表現と、そうでない構成的な部分のせめぎあいのようなところがあって、最終的には合間でバランスを取っているような気もする。
米田 虫は足掛かりなんだと思います。虫を描いているというよりは、画面を作っているという表現がすごくしっくりくる。
長谷川 なるほど。描き出しでは虫を描いているんだけども、描いているうちに虫では無くなってくるという感じ?
米田 そうですね。途中経過で虫を描いている意識はあるんですけども、全体で見たら画面作りで、虫は足掛かりで、というものだと思います。
長谷川 じゃあ、画面の完成の基準はどこに置いているの?
米田 絵具が程よく混じり合った画面になった時ですね。描いてる途中でそれは何度か訪れるんですけど、繰り返して何度目かのその節目で止めます。
長谷川 その画面上の節目って何なんだろう。例えば、「虫」と「虫以外の画面構成」の関係性の部分もあると思うんだけど。
米田 そうですね。作り始めの段階では、虫とその背景の色遣いは全く違っていて、制作を進めて行く中でお互いの色が反転していくんですけど、その関係が上手く混じり合った時が一つの節目ですね。
長谷川 虫と背景の関係性が、色が重なってくることによって一体化するような感覚が訪れるということ?
米田 それは、先に塗った絵具と後に塗った絵具の関係でもあるんですけども、絵具の重なりによって前後になったりする絵画空間とか、虫と絵具による画面構成の関係とか。僕は描いていて、筆跡が重なり合っていくのが面白いんです。油絵具は、筆跡だとか垂れの跡が全部残るから、そこが良い。例えば墨では出来ないけど、油絵具でなら出来る表現があるし、それが油絵をやっている理由に近いです。
長谷川 展覧会名の「 spiritual locusts 」は、どうしてこのタイトルなの?
米田 「 spiritual locusts 」は、精霊蝗(ショウリョウバッタ)という意味です。 日本で精霊蝗というと、あの葉っぱみたいな緑のバッタの事なんですけど、英語圏で spiritual locusts というと、どちらかというとイナゴみたいなものを指す事になります。
長谷川 そうなんや。意味合い的にも直訳だし、日本の固有種なのかも知れないね。漢字表記だと、「精霊」と書いてあるよね。
米田 特に作品にスピリチュアルな意味合いを込めたい訳ではなくて、僕が絵を描いた起源になったものが精霊蝗だったので。展覧会のタイトルを考えていて、虫を選ぶようになった理由にもちょっとだけ繋がるんですけども、僕が一番最初に描いたものが精霊蝗だったので、初個展ということもあり回帰的な意味合いを込めて「 spiritual locusts 」というタイトルを選びました。
長谷川 では最後に。虫を描くということだとか油絵具を使う理由だとか色んな話をしてきたけども、米田君が制作する上で大切にしている事は何ですか?
米田 そうですね、最近は意識的に少し離れて絵を観てみることにしています。例えば、1時間描いたとしたら、20分程度の時間眺めてみたりとか。絵と少し距離を置いて、客観的な目で画面の移り変わりを観るようになってから、作品が改善出来たと思います。今後の制作に関しては、自分にとってのモチーフや素材・画材の立ち位置を確かめていきたいと考えています。現在の技法になってからは虫のモチーフ以外を描いていないので、虫以外のモチーフで制作してみたり画材を変えてみたりと、色々試しながら制作してゆきたいです。
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