少し前の話になるが、奈良・飛鳥へ行った。
実はこのあたりまで来たのは大学3年生以来、実に二十数年ぶりのことだ。
私のいた大学では、3年生のときに「古美術研修旅行」(略してコビケン)というのが必修授業として設定されていて、油画科であろうと彫刻科であろうとデザイン科であろうと、すべての学科の学生が春から順番に京都・奈良の寺院や遺跡など、芸術・文化・歴史遺産をめぐる、2週間という結構長期の研修旅行があった。(今の学生たちも変わらず古美研があるようだ。)
油画は人数が多いためA班・B班の2期に分かれていた。私はB班で、5月末くらいの時期だったろうか。
旅行の期間中は、毎朝奈良公園近くにある研修施設から専用バスに乗って、日が暮れるまで仏像や襖絵を見て回る。作品の力に圧倒されるせいもあるのだろうが、日が経つにつれて疲れが溜まり、疲労が抜けずにぐったりしてくる。そして行程が半ばを過ぎたころには、恥ずかしながらお腹いっぱいの“見飽きた状態”になってしまった。だんだん「襖に絵が描いてあるなぁ・・・。仏がいっぱいだなぁ・・・・。」と、だらだらと流し見るだけになってくる。そして「まあ、京都・奈良くらいいつでも来られるし、また今度ゆっくり来て、数を絞ってじっくり見よう。そのほうがしっかり見られるし、きっとそうしたほうが勉強になるな。」などと、言い訳半分に思っていたものだ。
後日京都に来る機会があった時に、おぼろげな記憶を頼りに「あそこに行ってあの襖絵を見よう・・・」と目的の寺に向かったのだが、立入禁止だらけで古美研のときに入れたエリアの1/3程度も見られない。「そうか!あの時はかなり特別な待遇だったんだ!今は単なる観光客の1人でしかないんだ!!」と、そのときになって初めて古美研という授業のありがたさが分かった。
同級生や後輩に展覧会などの折に会うと時々古美研の話しが出ることがある。
どうやらほかの人たちも同じような体験や思いを持っているようで、「あの時もっとよく見ておけばよかったよねぇ」という言葉が必ず出てくる。
京都の大学に、しかも大覚寺が母体の大学に勤めたら、古美研のような特別な状況が日常的に待っているような気がしていたけど、それはそれで勝手な幻想だった。学生時代の古美研体験は、時間が経つほどに特別さが増してくるようだ。
でも、ありがたいことに、大覚寺に関しては大学関係の用事もあっていろいろなところに足を踏み入れることができる。立入禁止の札を越えて一般の観光客では入れないところへ向かう瞬間には、古美研にまつわる思い出がシュンと一瞬で頭の中を駆け巡るような気がする。そんな時は心の中で、「やったね!」。ちょっと勝ち誇った気分になっている。
飛鳥大仏。この表情が気に入っている。写真撮影OKなのも嬉しい。(^^)v
聖徳太子像。「日出処の天子」の厩戸の王子でイメージが出来ちゃってるので・・・(-_-)
09/08/17