以前このページに掲載した、千葉県立佐倉南高等学校の大竹先生が取りくんでおられる「美術鑑賞の授業」のその後を紹介したいと思います。

私の作品の鑑賞(生徒) → 作品についての感想文(生徒) → 感想文を読んで、コメント(宇野) → コメントを読んで、改めて感想文(生徒) という流れになっています。
今回紹介するのは、新たに大竹先生より届けられた、私のコメントについての佐倉南高校の生徒さんたちの感想です。

感想文 抜粋
 「宇野教授より生徒たちへを読んで、及び川村記念美術館へ作品鑑賞に行ったこと」

2008年6月28日

2年生

わざわざ佐倉南の生徒のためにお手紙を書いてくれるなんてやさしい人だなと思った。私は只の高校生だから難しいことはわからないけど、美術は奥が深いと思った。美術館へ行って色々な作品を見れて良かった。ちゃんとしたもの(風景画)よりグチャグチャしているような絵(例えば気持ちとか)が好きでした。

自らに課した制作システムのルールということで、二つのルールの例(?)があげられていたけれど、他の人から見たら、何の絵かわからなくても、自分の中では確かに決まっているものがあって、それを表現するのが芸術なんだろうと思った。

私はただ思ったことを書いただけでした。でも、そんな簡単な感想にこんな多くの返事や感想を書いてもらえるとは思わなかったです。難しくて、あまりわからなかったけど、一言に芸術といっても深いんだなあと思いました。

知識による理解力に先導されない「感性」の扉が開かれて、そこから本当の意味での「観る」こと「感じる」ことが始まるのです。という言葉は、そうかもしれない!!と思いました。

宇野先生が言う通り僕たちはプロではないけど、先生の作品を見て感想を抱けたことは素人でもプロでも同じだとわかり嬉しかったです。これからも頑張って下さい。

皆の感想が当たり前のような事でも重要なことだと知ってビックリしました。「実体の無い感覚の存在感」というのはとても描くのが大変だと思いますが、描き終えた時にすごい充実感があると思います。これからも素晴らしい作品を描き続けて下さい。

今まで鑑賞をしていて、自分は当たり前で何ともない一言のような感想を書いていたけど、とても重要なことだったんだと思いました。鑑賞は面白いんだと思いました。

返事をいただいて改めて作品を作っている側の人の伝えたいことや観方?などを教えていただいた気がします。私個人は音楽と美術は一緒だと思っています。

ぱっと見た時、何が何だかよくわからない絵が沢山あるけど、その絵はただ描いたのではなくちゃんと狙いや思考、意思、想いなど沢山のものが詰まっていることがわかりました。知識や理解力に先導されない感性が大切で、そこから観ること、感じることが始まるということがわかりました。

まず、自分たちの考えていることを読んでもらって、それに対して直接文章をくれたのは非常に興味深かった。これからは、美術は知るんじゃなくて感じようと!思った。

自分は芸術についてはよくわからないけど、芸術家たちは一つ一つ作品に何かの考えや思いを込めて作っているのがよくわかりました。

芸術というのは一本の線で様々な見方があって、それによって人はそれぞれの読み取り方があると思います。僕の場合は見たものをパッと表現するのではなくそれがどういう風に描いたのかと深く考えてしまいます。そうして芸術にとけこんでいます。自分たちの感想を読んでいただきありがとうございます。

自分が何気なく作品を見て思ったことは、普段あまり芸術に触れていない自分の"どうでもいい"ような感想と思っていたけど、そのと"どうでもいい"ような自分の作品に対する感想もすごく意味のあるものだと気がついた。美術館で見た作品に対する自分の思いも何か意味があったのかなと思った。

全然、作品を見ていく中でちゃんとした評論をしなくても思ったことを素直に言えばいいんだなと思った。「コレが答え」ってのが無いから、自分の思ったことが少しは当たってるのかなって思った。美術館はいろんな作品がいっぱいで、見てて飽きなかった。

美術作品にはその人が歩んだ人生によって見方、価値観が違って、思ったこともそれぞれ変わってくると感じた。川村記念美術館に行ってそれを始めて実感した

川村記念美術館に行ってみて、今まで見たことの無い作品を見ることができて、新しい発見がいくつもあった。行ったことによって作者に対する気持ちなどが少し読み取れたような感じだった。


3年生

私が授業で見た作品の感想がこんな形でお返事がもらえて、芸術でつながりがうれしかったです。芸術の作品にはその作品の作った人の気持ちがあって、一つの作品ができてるということを聞き、あらためて作品に対しての見方がかわりました。

美術をとても追及した人の文章だなと思いました。作品の「コンセプト」理解していきたいと思います。美術館では様々な趣き深い作品が沢山見ることができて、スライドで見るよりもやっぱり実物を見たほうが沢山良いなあと思うところがありました。とにかく面白かったです。

読んで、学校の鑑賞の時間がけっこう大切な時間だって気付いた。

鑑賞するということは、自分がどれだけ何かを感じるかが重要なんだなと思った。作品を見て、何を思い浮かべたか、どんな気持ちになったか、そこに何が見えたか、自分自身が感じたそのことを鑑賞というのだなあと思った。
川村美術館の先生も、(大竹)先生もそれを引き出そうとしていたのだなあと思った。そいで、その人の感じたことに対しまた違うことがわかり、見えたりもするのだなあと思った。
あと鑑賞も、作品作りも、1年生の時から先生は『静かにやらなければできない』と言っていたのが最近になってやっと本当にそうだなあと思った。真剣に取組んだ作品には、たとえ自分の造った下手なものだったとしても、達成感があるし、作品は全てその作った人の思いがあるのだから真剣に鑑賞することが大事だと思った。
考えてみたら、賑やかな美術館なんて聞いたことないし、当たり前だろうけど、見学を通して当たり前のことがわかった。

いつも平面的な作品ばかり見ているので、立体的な作品は新鮮で興味をそそられた。特に、入り口のところに出ていた作品(まるでガラクタを積み上げた城のような)は黙ってじっと見ていたくなる不思議な感覚になった。それは懐かしく、せつない気持ちだった。館内にも『ほう』と思う作品が多々あり、不安になったり楽しくなったりして、久しく心が色々な動きをしてくれた。鑑賞はいいなと思った。今度は一人でゆっくり静かに見たい。

初めて美術館に行ったが、とても不思議な空間に来たような感じがした。鏡に映ったような部屋の絵もベランダに座っているおばさんのような像も一つ一つ違う絵や作品への思いが少しずつでも伝わってきたような気がしました。とても素晴らしい発想だなと思いました。

川村記念美術館に行って、色々な作品を見て、私には良くわからないものが多かったけど、それぞれに何か伝えたいことや意味があるのかと思うと、詳しい話を聞きたいなと思いました。題名も見ると、とても深いなと思いました。映像が流れていた作品は物語を見た人が作るということだったけど、本当はあのおばさんは誰なのかとか、いつの映像だったのかなどが知りたいです。

川村記念美術館に行って、授業で見た絵も一杯あった。授業ではスクリーンで見たから、本物の絵の大きさが全く想像できなかったけど、本物を見たらすごい大きかったり、小さかったり、様々だった。近くで見るのと遠くで見るのとでは描いてあるものが違って見えたりした。

美術館に行ったのは初めてだった。学校でスライドを使って鑑賞するのと、実際に目の前の作品を見るのではかなり違った。

2008年7月3日

授業として作品を作る私たち生徒にとっては、芸術というより、「授業だから仕方なく・・・」という気持ちで取組んでいるのが本音です。でも、絵を描くこと、作品を造ることを仕事としている方たちはきちんとした柱のような物があり、やはり私たちとは全然違うなと思いつつ、少しだけ芸術分野というものに興味が持てました。

まだまだ自分たちは高校生だし、作品のコンセプトとかをちゃんと理解することはできないけど、知識が無くても見てて興味を惹かれる作品を描く、宇野さんの作品をもっと見てみたくなった。

私たちのためにこのような文章をサイトに載せていただいてとてもありがたい事だと思いました。宇野さんの作品がもっと見たいです。

この文を読んで、自分たちの感想を『感性』の扉が開かれるなどのように須晴らしい表現をしてくれて嬉しかった。現代の美術は奥が深く、興味が湧いてきた。

この文を読んで、自分たちの感想を1つ1つ大切に読んでもらえるのは本当に凄いことだと思いました。そして、喜んでもらえて良かったです。


みなさん、ありがとう。
7月14日から19日に、銀座のギャラリー「巷房」で吉岡まさみさんという作家と2人でコラボレーションの展覧会を開催します。
また作品を見ての感想を寄せてくれたらうれしいです!

08/07/10